離婚してから冬瓜ダイエットに出会うまで。

公開日: : 中島千鶴子について

こんにちは。冬瓜ダイエット開発者の中島千鶴子です。

今日は、冬瓜ダイエットに出会うまでの私自身のお話しをしますね。

 

私は、40歳の一週間前に離婚しました。

ワンルームマンションを借りたら、残ったお金は10万円。

 

熊本城の天守閣に登り、これから先の人生を考えました。

 

誰かお金持ちを見つけて、その方の彼女になるのはどうかしら?

40歳で、容姿も人並み以下の私を気に入ってくれる、奇特な男性が表れるかしら?

もし、運よくそのような男性に巡り合ったとしても、私より若くて素敵な女性が現れたら

スグに捨てられるだろう。

捨てられたら、また男性を探さなければならないし、

私は年を取るばかりで益々条件的に不利になっていく。

 

仕事を恋人にすれば、振られる心配もないし、

もし仕事で失敗しても経験になり次の仕事に生かすことが出来る。

 

美味しいものが大好きな私は、仕事を頑張ればいつでも美味しいものが食べられる。

私の新しい人生は「仕事と再婚する」ことに決めました。

 

が、金なし・コネなし・資格なしの私にいったい何ができるのか?

そこで、夜のお店「クラブ」で働こうと思いました。

 

何故なら、そこには経営者のお客様も来られるので何かビジネスのヒントが貰えるかもしれないし、お金ももらえて一石二鳥だと思ったからです。

 

でも、そう簡単には雇ってもらえませんでした。

「経験は?お客様は持っていますか?うちは30歳までです。」とか言われて断られてしまいました。

 

ところが最後のお店で「夜は、戸籍の年齢ではなく見た目の年齢だから。まずは面接にいらっしゃい。」と言っていただきました。

すぐにパルコで、ボディコンのピンクとパープルのワンピースを2着買いました。

雇ってもらえるかどうかもわからないのに。

 

そのお店で出会ったある社長が、彼女さんに夜のお店をさせていたのですが、「毎月100万円以上の赤字が出ている。

閑古鳥が鳴いているお店は売れないので、流行らせて売りたい。

君ならできると思うから、ぜひお店をやってほしい。」と頼まれました。

クラブで働き始めて直ぐのころでした。

 

早速、そのお店を見に行ったのですが、暗く汚い感じだったのですぐにお断りしました。

でもその社長は、毎晩お店に来てずっと説得されるのです。

「君ならできる。君ならできる。」と呪文のように言われるのです。

 

そうしたある日、和食の生簀があるお店にランチに連れて行ってもらった時、

そこの社長から生簀の店のママをやってくれないかと誘われました。

また、この社長も「君ならできる。君なら絶対やれる。」と誘われるのです。

 

二人から君ならできると言われたということは、「もしかしたら私出来るのかな?」

キレイな店だから流行る、汚い店だから流行らないということはない。

きれいな店でも流行らないところはあるし、汚い店でも繁盛している店もある。

 

私は、ビジネスチャンスを求めて、夜の世界に飛び込んだのだから。

これはチャンスだ!!!夜のお店で、資本金を貯め昼間の仕事をすればいい。

覚悟を決め社長に「お店やります。」と返事しました。

 

この社長の条件は、お金を出さない代わりに儲かった分はすべて私が貰ってよいということでした。

とにかく売りたいので流行らせて欲しいの一言でした。

 

クラブに勤めて1週間。素人同然で自分で経営することになったのです。

熊本市の銀座通り18坪のお店でした。

 

この時の手元にあるお金は4万円。お酒を仕入れるお金もありません。

酒屋の社長に掛け合い、1日だけ貸していただくことにし、今日仕入れた酒代は、

翌日の開店前に集金に来ていただくようにしました。

 

絨毯が汚かったので、3か月後に支払う約束で張り替えてもらいました。

 

お店のロゴは、プロの方にアルバイトで作ってもらい、お店の色は、「夜はむらさき」という歌にちなんで藤色をお店のイメージカラーにしました。

 

1日の経費を計算すると7万円、それに私の日当3万円を入れると、10万円。

10万円の売り上げを上げるには、3,500円だと35名、5,000円だと20名。

 

セット料金を4,000円にして、女の子が飲み物を1杯1,000円で頂けば、客単価が5,000円になる。

1日の目標を20名に設定

 

ターゲットは、創業社長

会社を軌道に乗せるためにがむしゃらに頑張ってきた社長たちに、ホッとできる癒し空間を提供する。
お色気の提供はしない。全てのお客様を紳士にする。

 

女の子たちの営業活動、同伴は禁止。営業はママの仕事。

お店に入ったら、まず食事をし、お腹を満たしてお客様のテーブルにつく。

お客様のオードブルには手を付けない。

お客様に頂く飲み物はお一人1杯だけ、なるべくキープボトルを長持ちさせる。

12時で帰るスタッフは、すべてのお客様のテーブルを回り「お先に失礼します。どうぞごゆっくり。」
と挨拶してから帰る。

と言うようなルールを作りました。

 

オープンの招待状は、その社長が作ってくださいましたが、私が持っている名刺は5枚しかありません。

なので、その社長の名刺帳を借りて知らない方々に勝手に招待状を送りました。

 

でもこれが大成功。

「こんな名前のママ知らないけど招待状が来たから。」と言ってお店に入ってこられます。

 

「申し訳ありません。全くの素人でお店を始めてしまって。招待状が出来たのですが、出す方がいないので、あの社長の名刺帳を借りて勝手に送ってしまいました。」

と謝ると、「よしわかった。俺がお客を連れて来てやる。」と言っていただきました。

 

私は、一日中同じ言葉を繰り返し、お客様も皆さん「よし、俺が・・・」と同じようなお言葉を下さるのです。

これが三日間続き無事お店のオープンが終わりました。

オープンに来ていただいたお客様のほとんどの方が、お酒をキープしてくださいました。

 

本営業初日、約束通り社長たちがお友達をお連れになり「お前キープしろ、お前もキープしろ。」と半ば強制的にキープをしていただき、3か月の終わりころにキープボトルを数えたら300本を超えていました。

 

これに一番驚かれたのが酒屋の社長でした。

社長は、ど素人の私を見た時「可愛そうに、1週間と持たないだろう。」と思ったそうです。

 

私は、夜を長くするつもりはなかったので、体を昼の状態で維持しようと思いました。

まず、朝6時に目を覚まします。掃除洗濯を終え9時10分前に家を出ます。

そして、店の近くの銀行のシャッターの前で銀行がオープンするのを待ちます。

シャッターが開くと同時に窓口で、昨日の売り上げを入金します。

これを月曜から金曜まで毎日続けました。

そしてとうとうある日、支店長がお客様と一緒に来店して下しました。

お客様に電話を掛けたりすることが出来なかった私の営業方法です。

 

一度私のお店に来て下さったお客様に、もう一度あのお店に行きたいと思ってもらうにはどうしたらよいか、一生懸命考えました。

このころから、日経新聞、会社四季報も読むようになりました。

熊本には、大企業の営業所もたくさんあり、そのグループによって飲まれるビールも違います。
なので、日本のビールは全種類おいていました。

 

お酒で儲かるのではなく、セット料金で利益を上げるようにしていたので、キープボトルも良いお酒を安く提供していました。

 

お客様がお帰りになる時は、必ずエレベーターに一緒に乗り、ビルの下までお送りしていました。

ある時、お客様は、はるか遠くに行かれても一度必ず振り返られるということが分からました。その時から、遠いので声は聞こえないけど「お気をつけて、またいらしてね。」

と手を振るようにしました。

 

満席で、座れなかったお客様も必ずエレベーターに乗りお見送りしました。

「9時からはラッシュなので、ぜひ早い時間にいらしてください。7時からオープンしています。」と、
ここでも営業していました。

 

そして1年後、心を新たにするつもりで熊本城の天守閣に登りました。

天守閣から市街を見ていて、「熊本にもビルがたくさんあるのね。何かこのビル使ってビジネス出来ないかな?」と、ふっと思いました。

 

ビルとビジネス、しばらく考えていると「そうだ、ビルにお掃除はつきもの。よし、掃除屋をやろう。」
と決断しました。

 

お店を流行らせてほしいと頼まれただけだし、十分お店は流行っている。

新しいビジネスの資本金のために夜の店をやったのだから、目的は達成していたのです。

 

そして、その夜からお客様にお店を辞めて掃除屋をすると宣言しました。

するとお客様は、「バカも休み休み言え、こんなに流行っている店を止めるバカがどこにいる。」
と言われるのです。

 

「10月いっぱいでやめます。」と言ったら、
「12月1月は稼ぎ時だから2月から掃除屋をやったらいいじゃないか。」とお客様から言われましたが、
次のママも儲かりたいはずだから11月から慣れておけば、12月1月の繁忙期も大丈夫と思って10月いっぱいで止めました。

 

ところが年が明け、1月になった途端バブルが崩壊、夜のお店は大打撃でした。

 

お掃除のお仕事は、お店に来てくださっていたお客様方の紹介で、かなりの件数を受注していました。

 

お店を辞めた翌日から、掃除屋開業です。スタッフも前もって3人ほど雇っていました。

初仕事は、ある大手ゼネコンの改装作業が終わったビルのお掃除でした。

床を掃除し、綺麗に拭きあげ帰ろうとしたら「ママワックスかけといて。」と言われました。

「えっ、ワックスって何?」

 

私は、「掃除の仕事って綺麗にすればいいんじゃない?」と簡単に考えていたのですが、

建築現場の掃除は、家庭の掃除とは全く別物だったのです。

ワックスも知らないで向こう見ずもいいとこです。

何とかよその掃除屋さんに来てもらってワックスがけは無事に終わりました。

 

綺麗にすればいいんじゃない?と思って始めた掃除屋は、私にとって地獄でした。

人手が足りなくて、たった一人月明りで掃除したこともあります。

とにかく忙しく、何日もご飯を食べるのを忘れて仕事したこともあります。

そして、ある方にだまされました。

 

でも、だまされたおかげで今があるので、そのだました方には感謝したいくらいです。

 

騙されて、失意のどん底にいる時ある社長と出会い、そしてISOと運命の出会いをしたのですから。

 

忘れもしない、1997年3月。

私を助けてくれた社長に誘われISO14001の勉強会に行きました。

1997年の9月に制定されてまだ半年ということと、これからISOに取り組み企業が絶対に増えてくるはずと思い、その場でISO審査員になることを決断しました。

 

社長に相談すると、「費用は会社で持つから頑張りなさい。」と言っていただきました。

それから猛勉強。人生で一番勉強しました。

 

それから数年後、環境マネジメントシステム主任審査員・品質マネジメントシステム主任審査員資格を取得し、沖縄県産業支援センター内にコンサル会社設立。

 

現在まで51社のコンサル実績があります。すべてご紹介によるものです。

ISO9001(21社)ISO14001(18社)ISO22000(3社)ISO27001(8社)OHSAS18001(1社)

 

ISOの手法を活用し、国と県の補助金をうけ冬瓜ダイエットの研究開発を行い現在に至っています。

 

食べることが大好きで、70キロまで太りましたが、現在は52キロをずっと維持しています。

拍子抜けするくらい簡単な「冬瓜ダイエット」を一人でも多くの方に知っていただきたいと
文化放送「くにまるジャパン」や、ラジオ沖縄「えっちゃんとちいちゃんのシブイトーク」また、
北海道STVラジオでも冬瓜ダイエットについて語らせて頂いています。

 

 


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